不安感と同じくらいある、孤独感について

孤独感。

不安感と並んで、幼い頃から私の心を占めてきた感情のひとつ。

家庭でも、学校でも、孤独感を常に感じていた。

人との関係を築くのが苦手で、でも頑張ってみて、空回りして、諦めて。。
小学校3年の頃には、友達と遊ぶより、図書館で一人で本を読んでいるときが
最も安らぐ時間だった。
読書に没頭しているときだけ、自分の不安感や孤独感を忘れることができた

学校が終わると、近所の図書館にそのまま行って、職員の人に
「もう閉館だから帰ろうね」と追い出されるまで、本を読み続けていた。

対人関係を築く・維持するのが苦手なくせに、私は孤独感を感じやすい。
なんてわかりやすいパラドックスだろう。

子供の頃から、仲間はずれや無視される経験が、多分回りの子より多かったと思う。

小学生の頃は、「ここで仲間はずれにされたら行き場がない」という、
強い見捨てられ不安と「ひとりぼっちになりたくない」という孤独感で、
食い下がろうとしていた。

中学の頃は、自分で「安全な」人、つまり、その人も行き場がなさそう、
他に誰とも話していなさそうな人に積極的にかかわることで、「ひとりぼっち」ではない状況を作り上げていた。

高校の頃は、中学からのエスカレーターだったので、中学の頃のコミュニティを
そのまま維持することで、学校での孤独感を感じないようにしていた。

こんな風にそのときどきでやってきたけど、結局、根付いている孤独感、孤独への恐怖は子供の頃から今に渡るまで、そう変っていない。

大学に入りたての頃は、孤独感が別の形で現れ、「人に嫌われたくない」という思いが最も強かった時期だ。
とにかく、「人に嫌われたくない」ので、合わせようとがんばる。
しかし、そんな状況はもちろん私にとって自然ではないので、やがて疲れて、フェードアウト。


結局、孤独感は今でもしっかり私の中で息づいている。

思うに、孤独感を100%払拭することは、不安感と同じく不可能な気がする。
なので、いかに孤独感を昇華(消化)するか、が私の人生のメンタル課題かなと。

感情の種類としては孤独感にあたるものたちが、様々な形、方法で私のところに出てくる。
それに、ひとつひとつ、対処できそうなら対処して、無理そうなら考えないでスパッときる。気持ちではそんな感じ。

孤独感の昇華も、不安感と同じく、過去に形成された強すぎるネガティブ感情によって、本当は「1」の大きさのものが、「100」くらいで自分に現れてしまっているのかもしれない。

まとまりないけど、孤独感は不安感とセットで、私の心に大きな影響を与えている感情。

 

子供の頃に強固に形成された不安感

不安感。

一番最初に感じたのは、それこそ物心ついたときだろうか。

夜寝るとき。普通は安らぐ瞬間だろうけど、私には不安が常にくっついていた。

夜寝るときに、頭を何かで覆うようにして眠っていた。
これは、今思うと、恒常的に母親に殴られていたため、
寝ている無防備なときに殴られるのが怖いという思いからだった。

家に帰るのは気が進まないが、家以外に帰る場所はなかった。
学校から家への帰り道、気分はちっともうかなくて、ここにも不安があった。
母親が怒っていたらどうしよう、またなじられて、殴られたら怖い。
そんな不安が常にあった。

幼少期に、育まれるべき「自己肯定感」はまるで育まれるような土壌はなかった。
私の分析では、母親自身もACであり(母親の父親は放任主義、母親の母親は支配的な人物)、そもそも自己肯定感のかけらもない人間のまま家庭を持った。
もちろん、子供への情操教育などまともにできる人間ではなかった。

「自己肯定感」を持ち得ない状況のまま、何に対しても不安感を感じていた。
・母親のことは嫌いだけど、母親に見捨てられたら…
・今日も母親が怒っていたら…

学校でも、私はあまりまわりに溶け込めなかった。

人との関係の築き方を模索しているのはいまだにだけど、子供の頃は、友達の作り方が本気でわからなかった。
家に帰りたくない、でも学校も別に楽しくない…
図書館で本を読んでいるのが最も楽しかった。

この頃から、ひとりでいるのが一番楽で安全だ、と本能的に気が付いていた。

とても小学校2年生が考えるようなことではなかった。

当時は、友達と遊ぶときは、外で遊ぶか、自分orその友達の家で遊ぶのが普通だった。
(今みたいにゲームとかはそこまで浸透していなかったし、住んでいた地域も庶民的な地域だったので、習い事や塾だらけの子もほとんどいなかった)
友達を自分の家に招いたことは一度もなかった。友達を招きたいと母親に一度伝えたとき、「家の掃除が面倒」、「その子が気に入らない」等々、烈火のごとく(いつものごとくか)母親が怒り出し、それ以降、二度と友達を呼びたいなどと考えないようになった。

普通は、呼んでもらった子は自分の家にも御礼も含めて次回呼んで遊ぶ、という流れだったが、そもそもその流れに乗ることすら難しかった。

・数少ない友達にも見捨てられるかも…

子供ながらに、しっかりと不安感の土壌は育って、友達と遊んで帰るときの道の静けさや空気の冷たさは私に刻み込まれている。

もし不安に色や音があるとしたら、真っ暗な暗闇で、静かで、冷たくて、とこの子供の頃の感覚を思い出す。

子供の頃から、ポジティブな感情(喜び、楽しみ、元気…)が育つ経験に乏しく、不安感はポジティブ感情が育つ土壌(自己肯定感が育つ土壌)を食い尽くして、大きく、深く、そして強く存在して、今でも私の最も身近な感情を形成している。

 

現在の状況について。(自律神経失調症?)

アダルトチルドレン脱却途上であり、不安感、孤独感は2年前ほどではないものの、
周期的にやってくることがある。
2年前までは、精神的症状がほとんどだったが、ここのところは年齢のせいもあるのか、自律神経失調症と思われる症状が出てきている。

■頻繁な下痢
もともとおなかはゆるい方で、便秘はしない体質だが、
ストレスを感じる→強い腹痛→下痢を比較的繰り返している。
大腸内視鏡検査まで受けたが、「腸がすこーしねじれている」といわれたくらいで、
原因は不明。こういう場合は「過敏性大腸症候群」なる精神敵なストレスから
腹痛と下痢を繰り返す症状があるようである。

■食欲不振
もともと食は細い方だが、
・夏場(湿気が多くて、気温が高い)
・会社や見知らぬ人との会食
・繁盛店などで、待っている人がたくさん居て、早く店を出なければならない場合
・極端に狭い店
・カウンター(隣の人との距離が近い)
場合、それまで空腹を感じていたのに、途端に食欲がなくなることがふえた。
外食の場合は、「みっともない食べ方をしていないか」、「早く食べ終わらなければならない」などの無意識のおもいに支配され、食事中にそのことで頭がいっぱいになってしまうことがある。

身体的な症状については、漢方を服用することにより、少しはマシになったような状況。
精神症状だけだったのだが、身体症状も一緒に現れることもある。

これも含めて、アダルトチルドレン脱却に向けてうまく付き合っていこう。

ACの回復に向けて 2014年の夏以降

2014年の夏以来、自分の人生の舵を自分で取れるようになる=ACを回復する必要があると考え、落ち込んだり取り直したりを繰り返しながら今に至っている。

「自分を取り戻すこと」が最終目標であるが、時々目標がわからなくなりながらも、なんとか生きてきた。

まず、自分がACだと確信するまで、毎日のようにAC関連の情報をネットで検索していた。
ACになる理由、ACの特徴、ACの人が陥りやすいこと…
情報には頷けることがとても多く、主な症状であった不安感や孤独感は、
幼少期に親(特に母親)の愛情を十分に受けない状態で成長した人が、感じやすいものであり、それはしばしばループを繰り返すことがわかってきた。
そして、この強い不安感や孤独感は、幼少期に育まれなかった自己肯定感のものさしによって生じていることもわかってきた。

母親から離れ、一人暮らしをするまでは考えも付かなかった、
そもそも知りもしなかった言葉。自己肯定感。

どうやら、周期的な不安感や孤独感のループは、AC回復とともになくなっていくものらしい。
そして、自分がACだと気が付いたときから、自分で自分のマインドを育て直していく方法があるらしい。

本に出ているような、AC回復ワークを試したり、
ACの人が集まる自助会に参加してみたり。
特に、ワークショップなどは、最初は怖い場所なのではないか(他人のトラウマをみせられるのも怖い)と及び腰だったが、様々なアプローチから、ACを回復していく道をゆっくりだが歩き始めた。

この2年間で、変ったことがいくつかある。

まずは、母親への自分の認識である。

いまだに、母親への恨みは心から剥がれ落ちていないけれど、
2年前と較べると、「母親は母親」、「私は私」、それぞれ別々の人生があって、たまたま母親とは相性が合わなかった、にもかかわらず親子になってしまった。それによって、必要以上に苦しい思いをすることになった、ということである。

これまでこのブログで触れてきたように、自分と母親の人生の境界が分からないまま、社会人になっていた経緯がある。

ここにきてようやく「自分は自分」、「母親は母親」と切り離して考えられるようになったのだ。
これは大きな前進だったと思う。
母親の言動は私にとって辛いことや嫌な思い出が多いが、「母親」という他人が、他人の思考で発した言動である、と思えるようになった。

この頃、母親とは1ヶ月に数回会っていたと記憶している。
母親は私が出て行くときに、「世話になった感謝もないのか」など、とても巣立つ娘を送り出すと思えない暴言を私に浴びせたが、たまに置き忘れた荷物を取りに帰ると、自分の子育てには自信があるのか、「やはり実家が一番いいに決まっている」などとまた鬱陶しいことを言っていた。

母親の言葉はこれまで、ひとつひとつをまっさらな状態で、100%私の心にまっすぐ届くものだったが、
ようやく、一度言葉を聴いて、それをそこから「私が」どう捉えるか、一歩引いて冷静に母親を捕らえられるようになった

同時に、自分の倍近く生きてきて、母親自身もACで苦しんでいるのに、そのことにすら気が付いていない母親に哀れみすら感じる余裕が出来てきた

 

今の私へ~その4~

八方塞りと思っていた2年前の夏。

社費留学は無理だったけれど、自費でも留学する決心はつかなかった。
仕事を辞めれば、定期的な収入はなくなる。また、大学院に通うために留学するので、アルバイトなどをする余裕もほとんど持てないだろう。
そうすると自分の丸4年働いてためた貯金額ほぼ全てを使い切ることになる。
…資金面に加え、ここでも、「自分が留学して勉強したいことはあるのだろうか」と考えたとき、これ、といえるものがなかった
大学の専攻選びを他人(母親)の判断で進んだことを思い出した。
今度こそ、自分の心に正直になって、自分が勉強したいことを選ぼう。
ツーリズムなどには興味があったが、大学院を卒業できたとして、帰国して就職できるのだろうか。
今後の生活のことを考えると、結局決心がつかなかった。

英会話サークルの交流へ次第に足が遠のき始めていた頃だった。
一人暮らしをすると、自分の空間はとても居心地が良い。
何にも怯えずに暮らせる空間は、私にとって初めての経験だった。
居心地の良さに加えて、家事は休日にまとめてしていたため、意外と時間がなかった。
これまでは、「家は居心地が良くないから、なるべく外出する予定を入れよう」と思っていたのが、「自宅は居心地が良いから、自宅でのんびりしよう」と思うようになった。
また、引っ越したことにより、英会話サークルの集まりの場所が遠くなったということも理由だった。
知らないメンバーが増え、皆のノリについていけない…そんな思い込みから、毎週通っていた
英会話サークルも、2週に一回、一ヶ月に一回となってしまった。
今思うととても勿体無いことをした。そのまま難しく考えずに、コミュニティの変化は変化で楽しんでいくこともできたかもしれない。
勝手に疎外感を味わって、楽しみだった場所は変化してしまった。
ここにも、自己肯定感の低さ(自分は必要とされていない)という思いにとらわれていた。

平日はこれまでどおり黙々と仕事をこなし、休日は家に居る時間が増えた。
家に居るときは、AC関連のことをネットで手当たり次第に調べて、
たいていそうするときは落ち込んでいるときなので泣くだけ泣いて、
疲れると昼寝をして、適当に食事をして眠って…という生活を繰り返していた。

ACを克服して、自分らしく生きたい…
そうは思うものの、本当にどうしていいか全くわからない。
AC関連情報をネットでしらべ、自分がACとなった原因や根底は把握できてきたものの、それを回復する一歩を歩み出す方法がわからなかった

正直、今もその方法は模索中である。
しかし、2年前と較べると、色々な方法を試したからか、
完全なACの回復には至っていないものの、
特に母親との関係にいたっては前進したと思っている

今の私へ~その3~

母親から離れて一人暮らしを始めて、これまでなかったようなことを感じ・考えるようになった。

まず行き着くのは、非常に自己肯定感が低く、不安感、孤独感が周期的にループして自分を塞ぎこませることだった。

小さな躓きを感じるたびに、不安感、孤独感に塞ぎこむことを繰り返していた。

ただ、これまでと大きく違ったのは、この不安感や孤独感の原因となっている、
根底にあるものは何か?を真剣に追求したいと思ったこと、そして、
自分で自分の人生の舵を取っていけるように、自己肯定感を養いたいと思ったことだった。

これまでは、不安感や孤独感がループで襲ってきたとしても、
その根底を追求して癒そうという考えには至らなかった。
嵐が吹き去れば、また元の状態に戻る。
根底から解決しなければ、このループは途切れないのだ、とやっと気が付いた。

気が付くと、自分のことを考える時間が以前と較べてとても増えていた。
問いかけるようにした。「自分はどうしたいのか」を常に。
それはとても苦しいものだった。他人に人生の判断をアウトソーシングしてきた私には、例えば「お花見に行くか行かないか」と決断することすら、大変な苦労を要した。

ひとつひとつ、「自分はどうしたいのか」を考えることは、
そのまま私の主体性だったり、自己肯定感に結びつくことだったのだろう
決断するたびに苦しみながら、「自分は何なのか、どうしたいのか」を必死に探っていた。

一人暮らしを始めた最初の夏、2014年の夏。

落ち込みがそれまでの周期ループとは違って大きな波でやってきた。

「私は誰からも必要とされていない」「一生一人ぼっちなんだ」
孤独感は極限に達し、養おうと頑張っていた自己肯定感はまだまだ途上だということに気づいた。

このときは冷静に冷静に考えることができなかったけれど、このときここまで落ちてしまった原因は、
・社費で英国留学を目指し、役員会まで説得したものの、叶わなかったこと。
この頃、海外担当部署での仕事にかなり慣れ、いつしか海外での生活を経験してみたくなった。
短期で留学、出張での滞在はあったものの、英語習得もあり、特に英国での生活を夢見ていた。
しかし、仕事を辞めて収入が無くなる事は怖かったので、社費で留学を認めてもらえないか、と思うようになった。英国の大学院に留学し、学位をとりたいと考えていた。

これにより、英語を勉強する最終目的を見失ってしまった。
目的がなくなると、途端に何をしてよいかわからなくなる。ここでもACの白黒思考が出てしまった。
次第に英語習得へのモチベーションが下がってしまった。

・2012年から参加してきた英会話コミュニティも、時間が経つにつれ、メンバーの入れ替わりもあり、
次第に自分のメインの居場所、といえるような居心地の良さが減ってしまったこと。
個人的に親しくなったメンバー同士、会ったりするようにはなったものの、
居心地の良さが減ったこと=疎外感、と捉え、自分から距離を置いてしまった。

今思うと、人との親密な関係の築き方がわからない私が、自分から交流に距離を置いてしまっただけなのだろうけど、当時は「人は皆自分から離れていく」「自分はやっぱり一人ぼっちだ」と孤独感を深めるだけだった。

 

2014年の夏の終わり頃。ようやく母親から離れ、自分の人生を自分の足で歩む生活を始めた私だったが、まさしく八方塞がりな気持ちを味わう。

 

今の私へ~その2~

平日は黙々と仕事をし、週末は英会話サークルでの活動を楽しみ、
そのコミュニティの交流を楽しむ生活が続いた。

次第に週末に自宅で過ごす時間が減り、母親とかかわる時間も必然的に減った。

母親とかかわる時間が減ることにより、母親との関係についてこれまでとは違って、少しずつ客観的に考えられるようになっていった。


2013年の夏の終わりだっただろうか。
この頃、初めて「アダルトチルドレン(略)AC」という言葉・意味を知ったと記憶している。

年齢的には成人していて、働いているので、傍目には「自立した大人」と思われる状態だったが、幼少期から刷り込まれた「母親のマインド」が私を支配していることに徐々に気が付くようになった。

母親から離れたほうがよい。ようやく、ここにきて、母親から離れることを真剣に考えるようになった。
2013年の秋頃から、真剣に家を出ることを考え始めた。

 

2014年1月。ついに母親と離れて暮らし始める。
社会人になって約4年。私は初めて自分の毎日を自分の判断で進めていかなければならない生活をスタートさせた

 

ここから、現在に至るまで、「アダルトチルドレン(AC)」を克服し、
育っていなかった自己肯定感を育て直し、自分で自分の人生の舵を取る人生を歩もうと、今日も七転八倒を繰り返している。