ACの回復に向けて 2014年の夏以降

2014年の夏以来、自分の人生の舵を自分で取れるようになる=ACを回復する必要があると考え、落ち込んだり取り直したりを繰り返しながら今に至っている。

「自分を取り戻すこと」が最終目標であるが、時々目標がわからなくなりながらも、なんとか生きてきた。

まず、自分がACだと確信するまで、毎日のようにAC関連の情報をネットで検索していた。
ACになる理由、ACの特徴、ACの人が陥りやすいこと…
情報には頷けることがとても多く、主な症状であった不安感や孤独感は、
幼少期に親(特に母親)の愛情を十分に受けない状態で成長した人が、感じやすいものであり、それはしばしばループを繰り返すことがわかってきた。
そして、この強い不安感や孤独感は、幼少期に育まれなかった自己肯定感のものさしによって生じていることもわかってきた。

母親から離れ、一人暮らしをするまでは考えも付かなかった、
そもそも知りもしなかった言葉。自己肯定感。

どうやら、周期的な不安感や孤独感のループは、AC回復とともになくなっていくものらしい。
そして、自分がACだと気が付いたときから、自分で自分のマインドを育て直していく方法があるらしい。

本に出ているような、AC回復ワークを試したり、
ACの人が集まる自助会に参加してみたり。
特に、ワークショップなどは、最初は怖い場所なのではないか(他人のトラウマをみせられるのも怖い)と及び腰だったが、様々なアプローチから、ACを回復していく道をゆっくりだが歩き始めた。

この2年間で、変ったことがいくつかある。

まずは、母親への自分の認識である。

いまだに、母親への恨みは心から剥がれ落ちていないけれど、
2年前と較べると、「母親は母親」、「私は私」、それぞれ別々の人生があって、たまたま母親とは相性が合わなかった、にもかかわらず親子になってしまった。それによって、必要以上に苦しい思いをすることになった、ということである。

これまでこのブログで触れてきたように、自分と母親の人生の境界が分からないまま、社会人になっていた経緯がある。

ここにきてようやく「自分は自分」、「母親は母親」と切り離して考えられるようになったのだ。
これは大きな前進だったと思う。
母親の言動は私にとって辛いことや嫌な思い出が多いが、「母親」という他人が、他人の思考で発した言動である、と思えるようになった。

この頃、母親とは1ヶ月に数回会っていたと記憶している。
母親は私が出て行くときに、「世話になった感謝もないのか」など、とても巣立つ娘を送り出すと思えない暴言を私に浴びせたが、たまに置き忘れた荷物を取りに帰ると、自分の子育てには自信があるのか、「やはり実家が一番いいに決まっている」などとまた鬱陶しいことを言っていた。

母親の言葉はこれまで、ひとつひとつをまっさらな状態で、100%私の心にまっすぐ届くものだったが、
ようやく、一度言葉を聴いて、それをそこから「私が」どう捉えるか、一歩引いて冷静に母親を捕らえられるようになった

同時に、自分の倍近く生きてきて、母親自身もACで苦しんでいるのに、そのことにすら気が付いていない母親に哀れみすら感じる余裕が出来てきた