アダルトチルドレンと対人関係~その1~

アダルトチルドレンとは、育った環境で十分に愛情を注がれなかった人が、
大人になって様々な生き辛さを感じているときの状況を指す。

この「生き辛さ」は、私の場合、対人関係で壁にぶつかりやすいことで
表面に出てきていることに最初に気が付いた。

物心ついたときから、対人関係を築くのが不得手で、不器用だ。

母親に恐怖心を持って生きていたため、基本的に人は信用できないし、何よりも怖い。

幼稚園に入って、初めて母親と二人きりの世界から開放されたものの、
友達の作り方はさっぱりわからなかった。
わからないので、一人で遊ぶしかなかった。
幼稚園の先生にも、もっとみんなと話したりしてみよう、と何度もいわれたものだった。

幼稚園でこれといって仲の良い友達はできなかったけれど、
近所に同い年の女の子が引っ越してきた。
6歳の頃だっただろうか。
この子が、私とは正反対の性格で、大らかで優しい子だった。
よく遊びに行かせてもらって、自分の家、特に母親が全然違う雰囲気・発言なのでとても驚いたものだった。(この頃は、もちろんACとかそんなこと考えたこともなく、ただただ友達の家が明るくて、笑いが多くてうらやましかった。)

私にとって、自信を持っていえる人生最初の友達は彼女だ。

彼女は、私と積極的に遊んでくれた。時には意見が合わないこともあったけど、
次の日にはお互いケロッとしていて、いろんな遊びをしたものだった。
幼稚園にこれといって記憶に残るような友達はひとりもいなかったけれど、
彼女と遊んだいろいろなこと、1輪車やローラーブレードや、どれも楽しかった思い出だ。

彼女とは幼稚園は違っていたものの、小学校は同じ学校だった。
小学校で同じクラスになったことはなかったけれど、「友達と遊ぶ」といえば、彼女だった。

私は彼女が大好きだった。本当に大切な友達だった。

小学校に入って、彼女以外の友達もできるようになった。
その子たちの家に遊びに行ったり、誕生日会に招いてもらったりした。
それでも、もちろん彼女が一番の友達だった。

彼女が他の子と遊ぶ約束が入ってしまったときは、すごくがっかりした。
今思うと、これはやきもちだったのかもしれない。
それと、彼女を他の子にとられてしまうのではないか、という不安感。
彼女は、誰とでも仲良くなれ、そしてそれぞれと関係を築ける子だった。
私はそんな風には生きられないので、彼女のことがうらやましくもあったのだと思う。

彼女と今も友達でいられたらなぁ、と大人になっても思い続けている。

小学校4年の夏、父親の仕事の都合で、神奈川から東北地方の某県の県庁所在地のある町に引っ越すこととなった。
その話はとても急だった。その都市の梅雨頃だっただろうか。
突然、○○県に転勤になった、と母親がヒステリーを起こしながら伝えてきた。
その頃、父親は海外の仕事が忙しく、単身赴任ではないものの、海外出張から何ヶ月も帰ってこれないような生活が続いていた。
父親が居ない状態が長くなるのに比例して、母親はもともと頭がおかしいのに更に拍車がかかって、私を折檻し、ヒステリーを起こす状況が続いていた。
父親の急な国内転勤は、(母親の精神状況を考えて)海外駐在を断ったからだ、
と随分後になって父親から聞いた。

私はこの、父親の転勤が決まったことを知った際の母親の第一声が忘れられない。
「私は田舎になんて行きたくない!!」
母親は、父親の仕事でもなく、ましてや私と弟、子供の学校のことでもなく、
自分が田舎で暮らしたくないということしか考えていなかったのだ。
激昂する母親に対して、私はとても冷めた気持ちでいた。

断固、父親の単身赴任を希望していた母親であったが、結局、一家で引っ越すこととなり、私は転校することになった。

○○県××市。東北地方の某県の県庁所在地。××市と聴いて、最初は全くどこかわからない場所だった。
(十数年後、震災が起こり、世界中で知らない人がいない地域になるが)

東北地方の小学校はみんなそうなのか、夏休みが一週間短い。9月1日より一週早く、2学期が始まる。
それに合わせて、転校することになった。

すみなれた神奈川を離れる日。朝から天気が良くて、暑い一日だった。
彼女が、お別れに来てくれた。私は泣いてしまった。

お別れの手紙には、「文通しよう」としっかり書いてくれていた。
私は本当に嬉しかった。同時に、彼女に会えなくなるのがとてもさびしかった。

こうして、○○県××市での生活がスタートした。
残念ながら、私はここでの生活に中々馴染めなかった。
9月中に霜が降りるような寒い地域。12月前には雪が振り出すような地域。
温かい神奈川で暮らしてきた私には、寒さが肌身に染みるものだった。
転校先の学校の同級生も、東京から来た転校生が珍しいからなのか、
排他的な気がして、馴染み辛かった。彼らの方言、先生の方言も何を言っているのかわからないときがあり、神奈川に帰りたかった。

彼女との文通は、小学校卒業まで続いていた。彼女も含めて遊んでいた前の小学校のクラスメートの話だったり、他愛もない内容だった。

小学校6年にあがったころだろうか。彼女が、小学校卒業後、アメリカに行くかもしれない、と手紙をくれた(彼女のお父様はアメリカ人)。
そうしたら、文通は途切れるのだろうか、と思った。
私は私で、父親の○○県での仕事の任期が2年半、つまり私の小学校卒業のタイミングで神奈川に戻ることが決まっていたこともあり、○○県の中学への進学はありえなかった。
○○県で同じく馴染めない母親が、私立中学の受験勉強を私にさせるようになり、次第に彼女との文通は滞った。

2000年3月。ほとんど楽しいことがないまま、○○県の小学校を卒業した。
2000年4月、都内の私立中学に入学するため、また○○県を離れた。
2年半、住んでいたことになる。大人になると2年半はあっという間だけれど、
小学校4年の夏~6年までの時間は、もっと長く感じた。

東京に戻れる。また彼女に会えるかもしれない。

しかし、彼女に会うことは叶っていないままだ。

(続きは次回に残しておきます)