今の私

前置きが長くなってしまったけど、自分がACで、今でも自分探しを続けている根底にはやはり自分の過去があると思う。

 

確かに過去は過去だろう。変えることはできない。

だから、振り返ることに生産性はない…

 

この考え方の意味は分かるけど、私はこの考え方にしたがっていない。

 

6年前の春。留年することなく、そこそこ立派な成績で大学を卒業した。

卒業式には出席せず、後日、卒業証書を取りにいった。

4年前、期待に胸を膨らませていた私は、結局大学で何一つ成長できなかったという自己認識の下、4年後に大学を卒業した。

 

こうなる前にやれることはいくらでもあったと思う。

けれど、何に対しても関心がわかなかった。

誰かが全部決めて、それを何も考えずに、疑問も感想も持たずに、

そこを歩けたら、もしも躓いたとしてもまた考えなくて済んで、人のせいしていられたかもしれない。

 

このころは、他人に、自分以外の何かに人生をアウトソーシングしてることにも気が付いていなかったし、そもそもそこが私のあらゆる悩みの根底にあるのではないかということに気が付いていなかった

 

そんなことは更々思考に現れず、鬱屈した孤独感、不安感、とてつもないネガティブフィーリングを心にしっかり溜め込んだまま、社会人生活が始まった。

 

社会人になって最初に驚いたことは、仕事を人生の一部として、大事に

とらえている人が非常に多いこと。

働く前から、「やりがい」を仕事に求めて得られることなんてないと当然のごとく思っていた私には、周りの同期の仕事に対するそもそもの思いの違いに驚くと同時に、温度差を感じていた。

 

だから、職場の人間関係なんてどうでもいいことの極致だったし、

何年後に自分がどうしていたいか、とか未来志向な考えもなくて、

ただただ、目の前にある、「よくわからないけど、自分に与えられた仕事」を「できる限り感情や感性を入れ込まないで対応する」ことに注力した。大切なのは、給料だった。時間外の付き合いは一切断って、

ただ労働して金を得る、それが私にとっての仕事だった。

 

家と職場の往復。十分つまらなかったが、それを抜け出す方法など、

思いつきもしなかった。

 

しかし、時間は流れていて、私もネガティブフィーリングは満載だけど、流されて次第に動きだすチャンスが目の前に来た。