このブログを開設するに至った経緯~その5~

たった2ヶ月の彼との交際は、「うつ病で話し合いなどできない」、「お互いのためにならない」と云われ、一方的に終わった。

その頃くらいからだろうか。はっきりとした原因はわからないものの、もともとあった不安感や孤独感、焦燥感はより強いものに変った。
ACにありがちな、「白黒思考」「極端思考」が身に染み付いているのか、
大学入学から彼に全力投球していた私は、彼との別れにより、注力できるものを失った。

ずっと一人ぼっちなんだ、誰からも必要とされない…孤独感は、手を変え品を変え、私の中に居座り続けた。大学にはなんとか通い、バイトなどもしていたものの、決して満たされた気持ちになることはなく、心は沈んだままだった。

 

今ははっきりとわかるが、この原因は、彼との関係や思い出を消化しきれなかったことだった。

当時の私はそんなことに気が付くはずもなく、最初は彼への怒り、病気への怒りと恐怖、そして次第にそれが憎しみに形を変え、強いマイナス・ネガティブ感情が長期間私の中に居座るのを許すこととなった。

 

心の空虚感を埋めるかのように、表面上(特に母親に対して)は優等生のままだったが、飲酒や喫煙が常習的になり、大学には必要最低限しか通わず、それ以外は部屋にこもって一日中眠っていたり、泣いていたり。
そんな生活が続いた。

 

永遠に果てない沼地を歩くかの如く、息苦しい日々は続いた。

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留年や退学はとても怖いものだったので(怖かった理由は、今思うと、母親に植え付けられた世間体を強く感じていたから)、かろうじて大学には通っていた。
そのため、彼と別れたとはいえ、ドイツ語のクラスではほぼ毎日会わざるを得なかった。

周囲のクラスメートにも本音を話せない(というか、友人に本音を話したのは多分小学生まで)私は、虚栄心と、周りの女の子から劣ってみられることが怖いという思いから、彼との交際が終わったことをきちんと話せずにいた(交際を始めたことは話していたが)。

 

そのうち、クラスメート全員が、私たちが別れたことを知るようになったが、
表面上は「お友達に戻った(円満)」な別れだった。

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しかし、私は途轍もなく彼に執着していた。怒り、恐怖、憎しみの感情は、形を変えて執着になっていた。
「私がこれだけ向き合おう、理解しようと頑張ったのに、何も応えてくれない」という歪んだ承認欲求も一緒に抱えながら。

 

彼からメールの返信が来なくてもいい。彼が納得しなくてもいい。
次第に、私は彼を励ますつもりで返事の来ないメールを送り、
無理にでも会おうとしたりするようになった。

彼は嬉しいのか嫌なのか、感情が顔に出ない。これは多分、うつ病の症状によるものだったのかもしれないが、その反応を見て、私は、もっと自分が動けばよいのだと捉えてしまった。

 

大学3年の春。あれは薄らあったかい、でも曇った日だった。

 

「○○君(彼)、あなたのことを迷惑だと思ってる、付きまとわないで欲しい、
とっくに好きじゃない、って言ってたよ」

 

ドイツ語のクラスメートが教えてくれた。

 

その瞬間、時がとまった。

私は今度こそ、本当に振られたのだ。言い換えると、この瞬間、本当に彼との恋は終わっていて、私は振られていることが理解できた。

 

そこから、空虚な心に、更にネガティブな感情の嵐が吹き荒れた。


彼に対して持った感情を最終的に全部「捨てた」のは、大学3年も終わる頃だっただろうか。