このブログを開設するに至った経緯~その4~

 

一見、「普通の」交際が始まったかのようにみえた。
少なくとも、その当時の私は、周りの同い年くらいの女の子が楽しんでいそうなこと(友達と遊ぶ、恋人とデート、おしゃれ、素敵なレストランetc.)とは無縁なことを恥じており、これでようやく劣等感や「普通の」女の子になりたい、という思いから開放される事実(=彼氏がいる)ができたのだと思っていた。

彼とのメールは楽しくて、次第に帰宅後、それぞれ実家暮らしだったが、
夜、寝る時間を惜しんで電話をするようになった。
ドイツ語の授業でほぼ毎日会ってはいるが、もちろんそれでは足りず、
講義の合間を縫って学校内を一緒に歩いたりしていた。

私にとってはとても新鮮なことで、それだけで日々の景色が違って見えるくらい、充実していた。

 

しかし、そんな期間が続いたのは2週間程度だった。

 

彼にはいくつか特徴があった。特に気になったのは、数日に1日程度、
全く連絡をしてこなくなることだった。
最初は、疲れて寝ているのかも、他のことで忙しいのかも、と思っていた。
しかし、実際はそんなものではなくて、彼は重度のうつ病を抱えていた。
うつ病だとカミングアウトされたのはしばらく後だったが、
梅雨に入り暑い日が続いているにもかかわらず、彼はかたくなに長袖を着ていた。
それは寒いからではなくて、日焼けを気にしているからでもなくて、
リストカットの跡を隠すためだった。

リストカットの跡を初めて見たとき、私は咄嗟にそれが何の傷なのかわからなかった。
リストカット」をする人がいることは知ってはいたが、実際に手首を切るとどんな傷がつくかまでの知識はなかった。

 

交際を始めて1ヶ月程たった頃だっただろうか。
重度のうつ病の影響で、リストカットを繰り返し、数日に1日は携帯電話を見ることができないほど落ち込んでいたのだ、と告白された。
高校3年の最後の方は、冬休みなどを利用して精神病院に入院していた、ということも後からきいた。

 

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この時点で、私にとって、彼との交際はとても難しいものになることがわかっていればよかった。


しかし、当時の私は「うつ病」を始めとする心の病に対しての知識も理解も持ち合わせていなかったし、
例えばケガのように、「治るもの」と思っていた。

彼を支えよう、自分が力になりたい。もし彼が元気になれるなら、どんなに自分が辛い思いをしたって構わない。

そんな風にそのときの私は思っていた。
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結果的に、私は彼のためにとても辛い思いをした。
「自分の病気を理解できる人はいない」「自分は永久に病気で苦しむ」と云われ、
寄り添おうと懸命になり、すがった。

「君が病気になるのは辛い」

 

「もう君と付き合うことはお互いのためにならない」

 

うつ病」の症状によくあることと後から知ったが、人と話をすることも出来ないくらい、落ち込むのだという。私は、彼を支えたくて、力になりたくて、もっと突き詰めると理解したくて、「話がしたい」ということを再三に渡ってお願いしたけれど、結局、彼の病気について話してもらうことはできなくて、一方的に振られてしまった。

 

2006年8月。たった2ヶ月の交際は終わったのだった。