このブログを開設するに至った経緯~その3~

 

これまで、母親の敷いたレールの上を大きな疑問もなく、優等生に歩んできた私は、自分の居場所の見つけ方(探し方)がわからない大学一年生になっていた。

大学で唯一クラスがあり、ほぼ毎日会うコミュニティ。
ここで、一人の人物と出会い、結果的に交際することになる。

私の通っていた大学は、内部進学生が一定数いる大学で、
彼は付属高校からの内部進学だった。
第一印象は、「親しみやすい人」。
彼は内部進学だったこともあり、私より大学に馴染みやすい環境にあった。
クラス会と称した飲み会などで話が弾み、次第に気になる存在になった。

私はそれまで、とにかく母親からの評価、母親の顔色を気にして生きており、
母親に友達の話などするはずもなく(母親は、「○○な友達がいるとお前まで○○になるからやめろ」などと平気で言う人間であり、私は自分の交友関係や好きなことに対して、母親から批判・否定されいちいち傷ついていたので、小学校高学年になる頃には、母親に自分の交友関係や好きなものなどは極力話さない子供になっていた。)、ましてや異性の友達の話など決して家庭でできない環境にあった。

もちろん高校時代には彼氏などおらず、「勉強の邪魔になるものは全て捨てなさい」という、母親の洗脳を信じて疑っていなかったから、少し仲の良い異性のクラスメートはいたものの、「交際」などは考えたこともなかった。

メールのやりとりが楽しい。当時、スマフォなどは普及しておらず、
ガラケーでのメールのやりとりと電話が主な通信手段で、

高校時代は携帯メールのやりとりなど面倒と感じていたのにもかかわらず、
この人とのメールのやりとりは素直に楽しいと感じ、
相手からのメールを待つようになった。

大学に入学した5月の終わり。交際を申し込まれ、人生初の彼氏ができた。

この時点で、ドイツ語以外の講義はほとんど興味が持てず(前述)、
サークル活動などは全く熱心ではなく(前述)、バイトもしていなかった。

早速、視野の狭い状態を、更にピンポイントにしていく、「彼との交際」。

ここまで読んでくださった方には既にこの話の先がお分かりかと思うが、
この彼との交際は長続きしなかった。

私は私で他人と交際できるような状態ではなかった(当時は全くそう思っていなかったが)。
彼は彼で、私が死ぬほど理解したくても理解できない(本当は理解はそんなに必要ではなかったと気が付いたのは随分後だった)世界に居て、問題を抱えていた。