アダルトチルドレンと対人関係~その2~

東北某県の小学校をひっそりと卒業し、東京へ戻ってきた。 2000年3月のことだった。東北某県で、1997年の夏から2年半を過ごした。

(実際には、私立中学受験のため、母親が私を塾に通わせたがったが、 居住地の東北某県では、そもそも私立中学がほとんどなく、日○研等の 中学受験塾が存在しなかった。苦肉の策として、夏休み等の休暇期間だけ、 東京の祖父母の家に居候させてもらい、塾の夏期講習等に通っていた。 そのため、長期休暇はほとんど東京で過ごしていた。)

だから、実際には2年ちょっとの間、東北某県に居たことになる。 東北某県の小学校では、東京から来た転校生はとても珍しい存在だった。 「東京から来た」というだけで村八分にされたことがあった。 今思うと、いじめの一種だったのかもしれないけれど、そのことを母親に話す方が、 その環境で我慢して耐え忍ぶより辛いことだったので、母親に学校のことを話すことはなかった。

 

長期休暇に塾通いのため東京で過ごす。それが非日常で、私にとってはむしろそれこそが居場所のように思えた。 母親の恐怖から逃れられるし、祖父母は私に甘かった。 住みなれた東京で、田舎の子供が知らないようなファッションや音楽に触れる。 「自分はあんな田舎のダサい子たちとは違うんだ」と自分に言い聞かせていたのかもしれない。

不思議と、東京で過ごす長期休暇の間に、彼女のことを思い出すことはなかった。

電車で1駅程度、車で行けばわずか15分かそこらの距離の祖父母の家に居候していたのに、 塾に通い、「都会っ子」の生活を楽しんでいると、あっという間に休暇は終わってしまった。 その頃はまだ元気だった祖父に、「前に済んでいた家をみたい」といえば、すぐに連れて行ってくれただろう。 なのに、頼むことはなかった。

 

彼女に「東京に戻る」とはっきり伝えることもないまま、東京の私立中学の1年生になった2000年4月。

中学受験をパスして入学してきた周りのクラスメートは皆、東北某県の小学校の同級生と違ってみえた。 「今度こそ、学校で自分の居場所を作りたい」 その思いで必死だった。

男女比では女子が多い学校で、その中でも、クラスで目立つ子たちについていこうとした。 部活も練習が週5日もある厳しい部活に入り、「人気者」になりたくて必死になった。 自分をごまかして頑張ったが、すぐにメッキは剥がれる。 目立つ子(いわゆるスクールカースト上層部)たちのグループからは疎まれ、目立たない子、 一人で居る子と過ごすようになった。 部活も次第に休みがちになり、中学1年の終わり頃には無断で退部してしまった。

またしても、「自分の居場所」を作ることに失敗した。

彼女に会いに行こうと思ったこともあった。最寄の駅まで行ったこともあった。

彼女は、間違いなく小学校の頃、私に居場所を提供してくれた存在だった。

電話しよう、手紙を出そう。 何度もそう思った。

それなのに、行動できなかった。

電話をしたら母親に見つかるかもしれない。 手紙の返事が来ないかもしれない。

…それは表面上の理由で、本当は、彼女のことが大好きなのに、私は自分から弱さをさらけ出せない、 助けてといえない、その思いに支配されていたのだと今になって思う。 「彼女に情けをかけてもらっている状態」は恥ずかしくて耐えられない。 そんな思いでいっぱいだったのだ。

とてももったいないことをしたな、と思う。

素直に辛いなら辛いと相談していたら、彼女なら聞いてくれただろうな、って。

 

(続きはまた後日書きます)